Vol.129 [園長だより]
投稿日時:2024/12/23(月) 14:39
先日のお遊戯会には沢山の保護者の方にお越し頂き、最高のお遊戯会になりました。この場をお借りして、御礼申し上げます。有難う御座いました。お遊戯会の挨拶でも話をさせて頂きましたが、本当にこども達が、一所懸命に本番に向けて練習する姿が素晴らしく、そこに向かわせている職員の陰ながらの働きをご理解頂きたいと思います。そして何よりこんなに、こども達一人一人が主役のお遊戯会は他にないと思っております。大勢の中の一人ではなく、全員が主役の素晴らしいお遊戯会にするには、職員の思いと努力が無くては成り立たちません。そのお陰様を是非とも感じて頂きたいと思いますm(__)m

12月2日より新しいお友達が同朋幼稚園に来てくれました。満三歳入園の三浦千冬くんです。よろしくお願いいたします。

3日にはついに同朋幼稚園のお祭りも解散式を行いました。善道先生から「お祭りは楽しいけれど、毎日やっていたら素晴らしさも、楽しさも半減してしまうよね。だから、また来年のお祭りまでお祭り遊びはとっておこうね。」と話がありました。お祭り大好きなこども達はどこまで納得いったか分かりませんが、きっとそれを感じてくれる時がくると思います。ちなみに笛を吹いているのは私です。(^^♪
先々月に鶏が一羽亡くなってしまい、こども達に「いのち」の話をしました。こども達に伝える事は難しいなと日々思っておりますが、以前の園長便りで、私の娘の「いのち」についての作文を載せさせて頂きました。再掲させて頂きます。きっとこども達にも「いのち」が伝わっていると確信しております。
すずめが教えてくれたこと
六年 佐々木 凛
私は動物が大好きだ。だから、弱っている動物や、苦しんでいる動物がいると、どうしても助けたいと思ってしまう。その日私が見つけたのは、一羽のすずめのひなだった。
土曜日の午後4時ごろ、外に遊びに行った弟が、息を上がらせて、
「すずめのひなが落ちてる!!」
と家に戻ってきた。私は、巣から落ちた野鳥のひなを人工飼育するのは難しく、大体弱って死んでしまう事を知っていたが、いてもたってもいられず、そのひながいる場所に行ってみることにした。見ると、ひなはもうほぼ羽が生えて、よちよちと歩いていた。小さくて羽も生えていないようなひなを想像していた私は、少しおどろいた。と同時に、もしかしたら助けられるかもしれない、という希望がわいてきた。ピーピー鳴いているひなの頭上から、その親だと思われるすずめが心配そうに見下ろしていたからだ。親がまだ世話をするかもしれない、と思っていると、近所の斉藤さんが、
「そのひな、助けたいけど、これ使えるかな」
と言って、巣のようなものを持ってきた。斉藤さんによると、その日の午前中、電線工事が行われたため、電柱にあったすずめの巣が取り外されてしまったが、巣は取って置かれたという。歩道の真ん中にひなを放っておくわけにはいかないので、とりあえずその巣の中にひなを入れて、垣根の上に置いておくことにした。
その数時間後見に行くと、ひなが巣から消えていた。猫におそわれてしまったか、と思っていたら、そのすぐ近くで
「ピー!ピー!」
と声がした。見ると、すぐ目の前の歩道にひながうずくまっていたのだ。巣をよく見ると、底に穴が開いていた。けがはないようで、元気に鳴いているひなを見て、私は一安心した。そしてすぐ巣にひなを戻して、今度は落ちるすき間がないコンクリートの上に巣を乗せた。しかしその時私は、いつも電線にとまっていたはずの親鳥がいないことに気付いた。もうだめだと思って、あきらめてしまったのだろうか。一度人のにおいが付いてしまえば、親鳥はひなの世話をしなくなるからそう簡単に手は出せない。私はとても悔しい気持ちで、なすすべもなく家に帰るしかなかった。
翌朝、ひなが心配でもう一度巣を置いた場所に行ってみた。近寄るといきなりバサッと何かが飛び立った。見上げると、そこにはあの親鳥がいたのだ。私はすぐに親鳥がひなにえさを与えていたことに気が付いた。また、上にいる親鳥が「チュンチュン」と鳴くと、それに答えるようにひなが「ピーピー」と鳴いている様子は、「大丈夫?そこにいる?」「大丈夫だよ。ここにいるよ。」と会話しているようで、心がとても温かくなった。私は、安心したのとうれしいのとで、大急ぎで弟に知らせに行った。
猫などにおそわれてしまう危険もあり、まだまだ不安は山積みだったが、親鳥が来ているうちはこのままそっとしておいたほうがいいと家族で話し合った。
ところが、その日の夕方急に雨が降ってきた。すぐに気付いた母が、
「すずめ、大丈夫かな。」
と言った。しかし、かさを置いたりすると、親鳥が警戒してもう来なくなるかもしれない、と思ったので、結局そのままにするしかなかった。とはいえ、雨はどんどん強くなっていく。どうしていいのか分からず、何もできない自分がもどかしかった。
そして次の日、朝早くすずめを見に行った父から
「すずめ、だめかもしれないな。動きが鈍くなってる。」
と聞き、私はかなりショックを受けた。朝食後、また見に行った父が今度は、
「だめだ、巣はなくなって、ひなが死んでる。」
と言った。見に行くと、低い位置にあった巣は高い位置に上げてあり、そのためひなは巣の穴から落ちたのだと思った。そうでなくても、雨にぬれたせいでひなはじきに死んでいたかもしれない。しかし私は、かさを置かなかったことをとても後悔した。
ひなの為に必死になっていた親鳥の事を思うと、胸が苦しくなった。雨が降ってもひなからはなれずに、声をかけ続けていた親鳥は、ひなから返事が返って来なくなった時、どう思っただろうか。私は最初、親鳥はきっとすぐに、ひなの事をあきらめてしまうだろうと思っていたが、それは大きなまちがいだった。小さな親鳥の大きな母性、そして、最後まであきらめずに鳴き続けたひなの、生きたいという本能に、私は強く心を打たれた。生き物も人間もたった一つの命を生きていることを心に刻んで、私は、自分のことも周りの人も大切にできる生き方をしていこうと、すずめの親子にちかった。

12月2日より新しいお友達が同朋幼稚園に来てくれました。満三歳入園の三浦千冬くんです。よろしくお願いいたします。

3日にはついに同朋幼稚園のお祭りも解散式を行いました。善道先生から「お祭りは楽しいけれど、毎日やっていたら素晴らしさも、楽しさも半減してしまうよね。だから、また来年のお祭りまでお祭り遊びはとっておこうね。」と話がありました。お祭り大好きなこども達はどこまで納得いったか分かりませんが、きっとそれを感じてくれる時がくると思います。ちなみに笛を吹いているのは私です。(^^♪
先々月に鶏が一羽亡くなってしまい、こども達に「いのち」の話をしました。こども達に伝える事は難しいなと日々思っておりますが、以前の園長便りで、私の娘の「いのち」についての作文を載せさせて頂きました。再掲させて頂きます。きっとこども達にも「いのち」が伝わっていると確信しております。
すずめが教えてくれたこと
六年 佐々木 凛
私は動物が大好きだ。だから、弱っている動物や、苦しんでいる動物がいると、どうしても助けたいと思ってしまう。その日私が見つけたのは、一羽のすずめのひなだった。
土曜日の午後4時ごろ、外に遊びに行った弟が、息を上がらせて、
「すずめのひなが落ちてる!!」
と家に戻ってきた。私は、巣から落ちた野鳥のひなを人工飼育するのは難しく、大体弱って死んでしまう事を知っていたが、いてもたってもいられず、そのひながいる場所に行ってみることにした。見ると、ひなはもうほぼ羽が生えて、よちよちと歩いていた。小さくて羽も生えていないようなひなを想像していた私は、少しおどろいた。と同時に、もしかしたら助けられるかもしれない、という希望がわいてきた。ピーピー鳴いているひなの頭上から、その親だと思われるすずめが心配そうに見下ろしていたからだ。親がまだ世話をするかもしれない、と思っていると、近所の斉藤さんが、
「そのひな、助けたいけど、これ使えるかな」
と言って、巣のようなものを持ってきた。斉藤さんによると、その日の午前中、電線工事が行われたため、電柱にあったすずめの巣が取り外されてしまったが、巣は取って置かれたという。歩道の真ん中にひなを放っておくわけにはいかないので、とりあえずその巣の中にひなを入れて、垣根の上に置いておくことにした。
その数時間後見に行くと、ひなが巣から消えていた。猫におそわれてしまったか、と思っていたら、そのすぐ近くで
「ピー!ピー!」
と声がした。見ると、すぐ目の前の歩道にひながうずくまっていたのだ。巣をよく見ると、底に穴が開いていた。けがはないようで、元気に鳴いているひなを見て、私は一安心した。そしてすぐ巣にひなを戻して、今度は落ちるすき間がないコンクリートの上に巣を乗せた。しかしその時私は、いつも電線にとまっていたはずの親鳥がいないことに気付いた。もうだめだと思って、あきらめてしまったのだろうか。一度人のにおいが付いてしまえば、親鳥はひなの世話をしなくなるからそう簡単に手は出せない。私はとても悔しい気持ちで、なすすべもなく家に帰るしかなかった。
翌朝、ひなが心配でもう一度巣を置いた場所に行ってみた。近寄るといきなりバサッと何かが飛び立った。見上げると、そこにはあの親鳥がいたのだ。私はすぐに親鳥がひなにえさを与えていたことに気が付いた。また、上にいる親鳥が「チュンチュン」と鳴くと、それに答えるようにひなが「ピーピー」と鳴いている様子は、「大丈夫?そこにいる?」「大丈夫だよ。ここにいるよ。」と会話しているようで、心がとても温かくなった。私は、安心したのとうれしいのとで、大急ぎで弟に知らせに行った。
猫などにおそわれてしまう危険もあり、まだまだ不安は山積みだったが、親鳥が来ているうちはこのままそっとしておいたほうがいいと家族で話し合った。
ところが、その日の夕方急に雨が降ってきた。すぐに気付いた母が、
「すずめ、大丈夫かな。」
と言った。しかし、かさを置いたりすると、親鳥が警戒してもう来なくなるかもしれない、と思ったので、結局そのままにするしかなかった。とはいえ、雨はどんどん強くなっていく。どうしていいのか分からず、何もできない自分がもどかしかった。
そして次の日、朝早くすずめを見に行った父から
「すずめ、だめかもしれないな。動きが鈍くなってる。」
と聞き、私はかなりショックを受けた。朝食後、また見に行った父が今度は、
「だめだ、巣はなくなって、ひなが死んでる。」
と言った。見に行くと、低い位置にあった巣は高い位置に上げてあり、そのためひなは巣の穴から落ちたのだと思った。そうでなくても、雨にぬれたせいでひなはじきに死んでいたかもしれない。しかし私は、かさを置かなかったことをとても後悔した。
ひなの為に必死になっていた親鳥の事を思うと、胸が苦しくなった。雨が降ってもひなからはなれずに、声をかけ続けていた親鳥は、ひなから返事が返って来なくなった時、どう思っただろうか。私は最初、親鳥はきっとすぐに、ひなの事をあきらめてしまうだろうと思っていたが、それは大きなまちがいだった。小さな親鳥の大きな母性、そして、最後まであきらめずに鳴き続けたひなの、生きたいという本能に、私は強く心を打たれた。生き物も人間もたった一つの命を生きていることを心に刻んで、私は、自分のことも周りの人も大切にできる生き方をしていこうと、すずめの親子にちかった。