Vol.124 [園長だより]
投稿日時:2024/06/28(金) 11:03
6月だと言うのに夏日を記録して、本当に地球は大丈夫なのかと心配してしまうような日が続いております。梅雨入りも中々せずに、今週末からやっと梅雨らしい天気になりそうです。梅雨などジメジメして、過ごしにくいですが、そんな私たちの都合よりも、雨不足にならない方が様々な意味で私たちの生活にプラスをもたらせてくれるのですが、どうしても物事を自分の都合で考えてしまうのが、私たち人間なのだと思います(ToT)/~~~来週末は今年度最初の発表会の七夕発表会になります。4月に恐る恐る登園していたこども達がステージの上で発表をします。4月からはとても想像出来ない様な姿が見られる事と思います。昨日リハーサルを行いましたが、どのこども達も楽しそうに自ら歌って、踊っておりました。そして、お母さんやお父さんに上手な発表を見せる為に練習を頑張るんだと言っておりました。毎回発表会の際にはお伝えしておりますが、こども達は決して、無理やり歌わされたり、踊らされたりしておりません。勿論、保育者のしっかりとした仕掛けがあっての事ですが、その作業があってこそ、こども達がしっかりと目標に向かって頑張ることが出来るのです。そんな保育者の深い思いと、仕掛けがある事を思いながら、当日の発表を見て頂ければと思います(^_-)-☆
5月30日にサツマイモの苗を植えました。秋の石焼き芋が楽しみです(^_-)-☆6月7日には、マルナカファームさんの御厚意で、こども達をいちご狩りに招待して頂きました。こども達はイチゴを摘みながら楽しそうに、沢山イチゴを食べておりました。私もいくつか食べましたが、とっても甘く美味しいイチゴでした。マルナカファームさんには感謝ですね。実はマルナカファームさんは真行寺の檀家さんが経営しておりまして、隣に新しくカフェもオープンしておりました。お時間ある際には、是非とも足をお運び頂ければと思いますm(__)m
何度も引用させて頂いておりますが、私のバイブル東井義雄先生の文章が思い出されたので載せさせて頂きたいと思います。『子どもの心に光を灯す』と言う本の一文です。
父親の責任
東北の、鈴木道太という先生が、「新しい本を書いたので、批評してくれ」と、送ってくれたのを読んでみましたら、東北のPTAの会長さんの述懐が出ておりました。こういうお父さんが欲しいなあと思うんです。
『私の長男は、敏夫といって、今高校の三年生ですが、その子がたしか小学校三年生か四年生の時です。
粉雪がチラつく寒い夕方でしたが、私が外出先から帰って来たら、仏壇の前に家内が五、六百円の小銭を上げておいたうちから、二百円程とって買い食いをしたと言うのです。
ちょうど外出先で、ちょっと面白くないことがあって、ムシャクシャした気持ちでいた時に、
「お父さん、敏夫はね・・・・・・」
と、その買い食いの話をされたもんですから、私も思わずカッとなって、
「敏夫ッ、来い!」
いきなり敏夫の手を引っ張って、
「いいか、お前のやったことがどんなに悪いことか、お父さんが教えてやるからな!いいか、お前に今から水を五杯かぶせる!」
と言ってしまいました。何しろ零度に近い寒い頃ですから、家内がびっくりして、
「お父さん、そんなことしたら敏夫が死んでしまいます」
泣いて止めるんですが、私は聞きません。無理やりに敏夫の服を脱がしてパンツ一枚にしてしまいました。
「しかしなあ、お前がそういう悪いことをしたのは、お前が悪いだけじゃぁない。そういう悪いやつを育てたお父さんにも責任がある。だから、お父さんは今から水を五杯かぶる」
と言って、私も服を脱いでパンツ一枚になり、子どもを抱いて外に出ました。
池の氷を割って、先ず私がバケツで水を五杯かぶりましたが、まるで心臓が止まるような冷たさです。
ところが、私が、ザ、ザーッと水をかぶってる目の前で、その冷たい水のしぶきが子どもの体に跳ね返るのですが、目に涙をタラタラ流しながら、そのとばっちりを避けようともせず、ブルブル震えて立っている息子を見た時、この時ほど、“この息子は、私の血を分けた大事な息子だぞ”と、実感をもって胸に迫ったことはありませんでした。
トランプをしたり、キャッチボールをして遊んだりしている時も、自分の息子だと考えていたことに変わりはありませんが、私のバケツの水しぶきが、自分の体にはね返ってくるのに、それを避けようともせず、逃げようともせず、タラタラ涙を流して、じっと見つめている息子の顔を見た時ほど、“これは、俺の血を分けた大事な息子なんだぞ”と、心の底から感じたことはありませんでした。
それから心を鬼にして、息子に三杯水をかけたら、息子はすくんでしまいました。あとの二杯は、半分くらいにして、数だけは約束通り五杯かぶせると、私は息子を横抱きにかかえて、風呂場に駆けこみました。
そして、乾いたタオルで、ゴシゴシ息子の体をこすってやったのですが、そしたら息子が、わきのタオルでゴシゴシ私の腹をこすってくれるのです。私は、思わず息子を抱いて、男泣きに泣いてしましました。
それから敏夫は、間違っても自分のお金でないものには、投げておいても手を触れない子どもになってくれましたが・・・・。』
これをお母さんにお願いするのは残酷ですねぇ。お母さんはやっぱり、
「お父さん、そんなことをしたら敏夫が死んでしまいます」
泣いて止めてくださるのがお母さんでしょう。つらくってもお父さんがやってくれんならん。
お父さんの、この「責任」が忘れられているんじゃァないでしょうか。
どうかお父さん方に、お父さん方の人生の体験の間、「この一点」だけはというものを、間違いなしに届けてあげていただきたいですね。
独楽は心構えが立ちますとグラグラしなくなります。その、「何を」「これだけは」というものを、お父さんが届けてくれる必要があるんじゃぁないでしょうか。
本の中にも書いてありましたが、父親の「責任」は普段の生活の中で、お母さんがお父さんの文句ばかり言っていたのでは、成立しません。父親の文句が出るのは仕方ないかと思いますが、立てるときはしっかりとお父さんを立てて頂きたいと思います。私は家では、なんとか面目を保たせてもらってます(^_-)-☆
5月30日にサツマイモの苗を植えました。秋の石焼き芋が楽しみです(^_-)-☆6月7日には、マルナカファームさんの御厚意で、こども達をいちご狩りに招待して頂きました。こども達はイチゴを摘みながら楽しそうに、沢山イチゴを食べておりました。私もいくつか食べましたが、とっても甘く美味しいイチゴでした。マルナカファームさんには感謝ですね。実はマルナカファームさんは真行寺の檀家さんが経営しておりまして、隣に新しくカフェもオープンしておりました。お時間ある際には、是非とも足をお運び頂ければと思いますm(__)m
何度も引用させて頂いておりますが、私のバイブル東井義雄先生の文章が思い出されたので載せさせて頂きたいと思います。『子どもの心に光を灯す』と言う本の一文です。
父親の責任
東北の、鈴木道太という先生が、「新しい本を書いたので、批評してくれ」と、送ってくれたのを読んでみましたら、東北のPTAの会長さんの述懐が出ておりました。こういうお父さんが欲しいなあと思うんです。
『私の長男は、敏夫といって、今高校の三年生ですが、その子がたしか小学校三年生か四年生の時です。
粉雪がチラつく寒い夕方でしたが、私が外出先から帰って来たら、仏壇の前に家内が五、六百円の小銭を上げておいたうちから、二百円程とって買い食いをしたと言うのです。
ちょうど外出先で、ちょっと面白くないことがあって、ムシャクシャした気持ちでいた時に、
「お父さん、敏夫はね・・・・・・」
と、その買い食いの話をされたもんですから、私も思わずカッとなって、
「敏夫ッ、来い!」
いきなり敏夫の手を引っ張って、
「いいか、お前のやったことがどんなに悪いことか、お父さんが教えてやるからな!いいか、お前に今から水を五杯かぶせる!」
と言ってしまいました。何しろ零度に近い寒い頃ですから、家内がびっくりして、
「お父さん、そんなことしたら敏夫が死んでしまいます」
泣いて止めるんですが、私は聞きません。無理やりに敏夫の服を脱がしてパンツ一枚にしてしまいました。
「しかしなあ、お前がそういう悪いことをしたのは、お前が悪いだけじゃぁない。そういう悪いやつを育てたお父さんにも責任がある。だから、お父さんは今から水を五杯かぶる」
と言って、私も服を脱いでパンツ一枚になり、子どもを抱いて外に出ました。
池の氷を割って、先ず私がバケツで水を五杯かぶりましたが、まるで心臓が止まるような冷たさです。
ところが、私が、ザ、ザーッと水をかぶってる目の前で、その冷たい水のしぶきが子どもの体に跳ね返るのですが、目に涙をタラタラ流しながら、そのとばっちりを避けようともせず、ブルブル震えて立っている息子を見た時、この時ほど、“この息子は、私の血を分けた大事な息子だぞ”と、実感をもって胸に迫ったことはありませんでした。
トランプをしたり、キャッチボールをして遊んだりしている時も、自分の息子だと考えていたことに変わりはありませんが、私のバケツの水しぶきが、自分の体にはね返ってくるのに、それを避けようともせず、逃げようともせず、タラタラ涙を流して、じっと見つめている息子の顔を見た時ほど、“これは、俺の血を分けた大事な息子なんだぞ”と、心の底から感じたことはありませんでした。
それから心を鬼にして、息子に三杯水をかけたら、息子はすくんでしまいました。あとの二杯は、半分くらいにして、数だけは約束通り五杯かぶせると、私は息子を横抱きにかかえて、風呂場に駆けこみました。
そして、乾いたタオルで、ゴシゴシ息子の体をこすってやったのですが、そしたら息子が、わきのタオルでゴシゴシ私の腹をこすってくれるのです。私は、思わず息子を抱いて、男泣きに泣いてしましました。
それから敏夫は、間違っても自分のお金でないものには、投げておいても手を触れない子どもになってくれましたが・・・・。』
これをお母さんにお願いするのは残酷ですねぇ。お母さんはやっぱり、
「お父さん、そんなことをしたら敏夫が死んでしまいます」
泣いて止めてくださるのがお母さんでしょう。つらくってもお父さんがやってくれんならん。
お父さんの、この「責任」が忘れられているんじゃァないでしょうか。
どうかお父さん方に、お父さん方の人生の体験の間、「この一点」だけはというものを、間違いなしに届けてあげていただきたいですね。
独楽は心構えが立ちますとグラグラしなくなります。その、「何を」「これだけは」というものを、お父さんが届けてくれる必要があるんじゃぁないでしょうか。
本の中にも書いてありましたが、父親の「責任」は普段の生活の中で、お母さんがお父さんの文句ばかり言っていたのでは、成立しません。父親の文句が出るのは仕方ないかと思いますが、立てるときはしっかりとお父さんを立てて頂きたいと思います。私は家では、なんとか面目を保たせてもらってます(^_-)-☆